Estacao Central 避難小屋

Yahoo!ブログより移転しました。散策の記録、イベント情報、演劇鑑賞、飲食関係、乗り物関係、日々の思うことなど色々と書いていきます。

    カテゴリ: 散歩オフ

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    京成佐倉駅に到着してからは佐倉城跡の国立歴史民俗博物館まで移動。
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    案内板や駅前の交番が城下町をイメージした瓦屋根になっているのが印象的でした。
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    そして向かう途中の国道296号線のアンダーパスをくぐって旧成田街道に出たところに、昔の商店なのか古民家なのか不明ですが、格子や黒い塀が特徴的な木造の古い建物を発見。
    店舗や観光施設として使われている様子も誰かが住んでいる気配もないので詳細は不明ですが、気になる建物ですね。
    なお、ここは海隣寺の坂というそうで、この奥に海隣寺や佐倉市役所、愛宕神社などがあるとのことです。
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    そして佐倉城址に入る手前には今は一般住宅として使われているようですが、茅葺き屋根の家もありました。
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    そして西町橋を渡って佐倉城址に入り、田町門跡、愛宕坂から城内へと入りました。
    なお現在の国立歴史民俗博物館の場所は、明治に入ってから陸軍の佐倉連隊として使われ陸軍病院もあり、戦後は国立佐倉病院となるも、博物館建設に伴い病院は移転し、今は民間に移管されて聖隷佐倉市民病院になっているそうです。
    坂を上り切ったところに、円勝寺・愛宕神社跡、佐倉城の椎木曲輪(侍屋敷)跡の案内板がありました。
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    また、国立歴史民俗博物館バス停横に昔の円柱型ポストがあり、ピンクに塗られて桜の花が描かれているのが印象的でした。
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    そして、国立歴史民俗博物館のレストランにて昼食となり、とんかつ定食を食べました。
    なお博物館だけに、米は古代米(黒米)を使っているのを売りにしています。
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    また、今回は博物館を見学する時間はありませんでしたが、展示エリア外の展示物である東福寺山門や根来寺多宝塔の模型を見ました。
    東福寺山門は断面を見ることもできますが、かなりリアルに再現されています。
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    そして休憩時間中に博物館の売店で1964年(昭和39年)の東京の路線入り地図のクリアファイル、八街生姜ジンジャーエールを買いました。
    クリアファイルには当時の都電の路線の記載もあって、なかなか見応えがありますね。
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    そして、休憩終了後に佐倉城散策スタート。
    ざっくり言うと、本佐倉城が廃城になった後に佐倉城ができた訳ですが、本佐倉城が機能していた当時からここへの築城は始まっていたそうで、本佐倉城主・千葉親胤の大叔父の鹿島幹胤が築城を開始するも親胤の暗殺事件により頓挫し、その後も同様の事件が繰り返されたことなどで築城は進まず、中世城郭の原型だけはできるも本格的に築城されたのは江戸時代に土井利勝が佐倉に入領してからとのことです。
    最初は現在の博物館横に位置する馬出し空堀から見ました。
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    余談ですが、このときに博物館発で東京駅八重洲口経由東雲車庫行きという京成バス千葉イースト(旧・ちばグリーンバス)の高速バスの発車時間でバスが到着したところでしたが、このバスは現在も15:12発の1便のみだし、あいにく2月いっぱいで廃止になります。
    地方都市によっては多いけど東京近郊では割と珍しい近距離高速バスだけに乗る価値もありそうですが、残念ながらもう乗りに行く時間がなく、もっと早く知っておけばよかったと後悔したのは言うまでもありません。
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    その後は椎木門跡と佐倉城の礎石を見ました。
    佐倉城廃城後に陸軍兵舎へと転用された際、そのままコンクリートで埋められてしまったそうですが、国立歴史民俗博物館の建設時に発掘調査が行われて礎石が出土し、ここに集められたとのことです。
    礎石の一部には柱を通す穴が開けられていたりもします。
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    そして非常に深い空堀や一の門跡を見ながら本丸へと入りました。
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    ここには明治初期まで銅櫓が残っていたそうですが、残っている写真が最末期のもので屋根がなくなったりと荒廃した状態のものでした。写真が残されているだけでも貴重ではあるのですが。
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    その後は天守跡や台所門跡を見ました。
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    本丸を出てニの丸御殿跡(御番所、対面所跡)に向かう間には正岡子規の句碑もありました。
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    二の丸跡内には板張りの建物があり、気になって見たところ茶室で、ちょうどお茶会が行われていました。
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    今の時期のこの辺は、梅や寒桜がきれいでしたね。
    次いで三の門跡から三の丸へと入りました。
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    この辺に、佐倉青年会議所50周年を記念して昨年10月に設置された天守閣と桜の花の絵柄入りマンホールがありました。
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    城内での最後は佐倉城址公園センターに入り、天守閣の模型などを見ました。
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    そして大手門跡から城外へと出て京成佐倉駅方面へと歩きました。
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    途中の麻賀多神社にもピンクのポストがありましたね。
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    また蔵や昔の商店建築も多く、途中にはそういった見どころも多いのが印象的でした。
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    そして途中の坂を下る細道で、今回の散策で最初で最後だったけど猫に遭遇しました。しかも「にゃ~ん」と言いながら寄ってくる猫ではありませんか。
    ここ最近、散策中の猫遭遇率が低いのですが、寄ってくる猫だったこともあって久々の当たりでしたね。
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    京成佐倉駅に到着した後は船橋まで移動して飲み会。
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    九州魂が空いていたのでそこに入り、まずはビールで乾杯し、九州料理など色々食べて最後まで楽しんできました。

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    東京再発見の本佐倉城、佐倉城を歩く企画に参加してきました。
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    まずは本佐倉城の最寄り駅である大佐倉まで移動しました。
    この駅で降りるのは初めてで、名前の響きは佐倉の上位互換のように見えますが、京成で乗降客数が最も少ない駅、しかもダントツに少ない駅で秘境駅とも言われています。
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    そんな駅だけに無人駅で駅舎は非常に小ぶりで自動改札機は両側通行の1台だけ、2番線(成田空港方面)上に小さなトイレが設置されているだけで、何だか昔のプラレールの「いなかの駅」のリアル版みたいな駅ですし、最近徐々に減ってきている構内踏切も健在です。
    そして駅周辺には少ないながらも住宅地はあるので、秘境駅と言われている割に乗降客が全くいない訳ではなく、電車が到着するたびに若干名は必ずいるくらいの利用頻度です。
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    集合時間になったので本佐倉城を目指して歩き始めました。
    ちなみに大佐倉は佐倉市の町名になるけど、本佐倉城の大半と本佐倉の町名は佐倉市ではなく酒々井町になります。
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    駅周辺は緑も多く、梅の花もあちこちで咲いていました。
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    また、今回は本佐倉城と佐倉城に特化した企画なので通過してしまいましたが、駅のそばには比較的規模の大きい麻賀多神社があるほか、線路沿いの道から本佐倉城へと曲がった辺りにおそらく周辺に散らばっていた庚申塔や馬頭観音や石仏などを集めてきたと思われるお堂と注連縄のついた井戸のようなものがあったりもしましたが、これらが何なのかは地図で調べるも記載がなく不明です。
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    そして本佐倉城跡に入り、まずは城跡の北側にある東光寺ビョウを通過して城跡内へと入りました。
    東光寺ビョウとは名前からして東光寺があったのだろうと思われますが、現在でも何があった場所なのかは不明なのだそうです。
    本佐倉城は佐倉千葉氏の居城として戦国時代にあったもので、豊臣秀吉が攻めてきた小田原合戦で北条氏に味方した千葉氏は滅亡し、江戸時代には徳川家康の五男武田信吉が佐倉領を拝領するも本佐倉城には入城せず、その後は土井利勝が佐倉城を築いたことで廃城になっています。
    この辺では通路跡や門跡などが発掘されているそうです。
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    ここからセッテイ山へと入り、ここにはセッテイ虎口跡や空堀があったとされるも発掘調査はいまだ行われていないそうですね。
    ちなみに「セッテイ」とは接待つまり対面所とも言われていますが、急斜面だったり大きな横堀で隔てられていたりする特異な立地の曲輪なので、人質曲輪ではという説もあるらしいです。
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    現在は竹林となっていますが、ここの竹は縦に黄色い筋が入る金明竹という珍しい竹になります。
    空堀の中などを歩いて、南奥虎口からセッテイ山を出ました。
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    この後は東山虎口から東山を超えて東山馬場へと入りました。ここが本佐倉城の大手門だったと推定されているとのことです。そして、東山は印旛沼方面への眺めがいい場所です。
    この先に案内所があり、ここで小休止となりました。
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    その後は「Ⅳ廓虎口」から大堀切、城山通路などを抜けて城山へと入りました。
    なお、この虎口の当時の名称は不明で、「Ⅳ廓虎口」というのは後年の発掘で付けられた便宜上の名前になります。
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    この城山に城主の御殿などがあったと推定されるとのことです。
    ここの城山門跡が見つかったのは2006年度(平成18年度)発掘調査とのことで、21世紀に入ってから発見されたものなので、まだまだ発掘されていないものや解明されていないものは沢山ありそうですね。
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    次いで城山の隣の奥ノ山へと向かいました。
    現在は一旦山を下る必要がありますが、当時は橋で結ばれていた可能性もあるらしいです。
    奥ノ山には倉跡や妙見宮の基壇跡があります。
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    本佐倉城の内郭最後は、奥ノ山を下ったところにある妙見神社に立ち寄りました。元々は前述の通り奥ノ山にあったものですが、移された年代は不明とのことで、これまた謎の多い城ですね。
    妙見神社は千葉氏の守護神で、千葉氏の城には必ずあると言われています。
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    内郭を出た後は田畑を挟んで南側にある外郭を歩き、この間には根古屋の双体道祖神と石仏がありました。
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    そして外郭の神明神社や堀跡を見て歩きました。
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    途中には早くも菜の花が咲いているところもありました。
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    また、大佐倉駅に向かう途中の堀跡は最初道路の右側の森林にあったのが、最後の方では道路が堀跡そのものになっている箇所もあったりしました。
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    そして大佐倉駅に戻ってきて、一駅隣の京成佐倉まで電車での移動となりました。
    やってきた電車は、ここまで来ることは珍しい京急の車両で、車端部にクロスシートを設置した600形でした。


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    後半の部は門前仲町駅をスタート。
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    最初は大横川の黒船橋を見ました。
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    大横川は、東京スカイツリー付近から南下し、木場付近で西へと曲がって最終的に隅田川へと続く運河で、元々は何ヶ所かで分割されて小分けになって場所によって亥の堀川、大島川など異なる名前だったそうですが、河川法改正の際に現在の大横川の部分が全て同じ名称に統一されたそうです。
    ここは隅田川合流点に近い末端部になります。
    そして、隣の越中島橋との間の川沿いに120年の歴史を持つ臨海小学校があり、名前の通り開港当初は埋立地もなかったので海のそばだったとのことですが、今は「臨海」とは程遠い場所になってしまいました。
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    ここで越中島橋を渡って越中島に入りました。
    かつては名前の通り島でしたが、今は埋め立てが進んで島の面影は失われてしまっています。
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    そして、越中島駅や商船大学前歩道橋を経由して東京海洋大学に向かいました。
    京葉線の越中島駅といえば、23区内で最も乗降客数の少ない駅として知られますが、決して閑散としている訳ではなく、地下鉄2路線が乗り入れる門前仲町、月島などへ徒歩圏内であり、そちらの方が利便性が高いこともあってあまり利用されないという事情があります。また、大江戸線はこの下を通過していますが、両端の駅までの距離が近すぎたり隅田川派川の下をくぐるトンネルの坂道があって駅を作りにくいことなどから、越中島で京葉線に接続することなく通過しています。
    そして東京海洋大学は商船+水産の両大学の合併によって誕生しましたが、歩道橋の名前は今も商船大学のままです。
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    東京海洋大学は敷地内に古い建物がいくつかあって見学できました。
    まず最初に見たのは、1903年(明治36年)築の旧東京高等商船学校天体観測所です。
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    ドーム型屋根の第一観測所と三角屋根の第二観測所があり、第一観測所は八角形+円柱で赤道儀室、第二観測所は八角形で子午儀室となっています。
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    次いで見た1号館(旧東京高等商船学校本館)は1932年(昭和7年)の建築で、半円形のアーチになった正面玄関や窓の形状などが非常にユニークでした。
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    その後は敷地内に保存展示されている明治丸を見ました。ちなみに昨年が就航150周年でした。
    灯台巡視船として建造され、後に無事に帰港した日が「海の日」の由来となる明治天皇の北海道・東北巡幸にも使われたという歴史を持つ船になります。
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    その後は相生橋を渡りますが、相生橋の途中には中の島があり、こちらは中の島公園となっていますが、現在は工事中で入れません。
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    相生橋を渡り切った先は石川島になります。
    松本零士プロデュースの水上バスがちょうど通過した頃でしたね。
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    また、ちょうどこの下を都営大江戸線が通過していることもあり、10年ごとに更新される河川法に基づく東京都交通局の河川占用許可の標識が立てられています。
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    隅田川河口の三角州を埋め立てて作られ、旗本・石川八左衛門にちなんで名付けられ、江戸時代には無宿者や軽犯罪者の更生のための人足寄場になり、幕末には水戸藩が石川島造船所を建造し、これが後の石川島播磨重工業(現・IHI)となります。
    現在は造船所がなくなって再開発され、「大川端リバーシティ21」となっています。
    現在の有楽町線や大江戸線の延伸開業を伴う大規模再開発であることなどから、子供の頃からニュースなどでしきりに耳にした単語ですが、このおかげで隅田川の旧名称の一つが「大川」であることを知るきっかけにもなりました。
    ちなみに実は私、中央大橋横の石川島公園公衆トイレの建設に関わったことがあり、学生の頃に免許取り立ての頃(1997年頃)に実家の黒煙吐きまくるボンゴブローニイトラックを運転してここに来て、父親と一緒に公衆トイレの窓ガラスを運び込んで設置しました。
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    また、中央大橋は独特な形状の橋ですが、この吊り橋部分をフランスの建築家がデザインしたことや隅田川がフランスのセーヌ川と友好河川となっていることなどから、石川島公園には「パリ広場」があります。
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    その後は下が公衆トイレになっている石川島灯台を通過して、細い水路に架かる住吉小橋を渡って佃島へと入りました。
    全方位ではないまでも四方のうち北から東をこの細い水路、西側を隅田川に囲まれているので、佃島は今でも島らしい体裁を保ち続けていますね。
    ちなみに佃大橋ができる前の対岸への移動は、渡し船だったとのことです。
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    ここは、再開発で高層ビルになった石川島とは打って変わって昔ながらの街並みが広がっているのが特徴的で、佃煮の天安など古い建物も沢山あります。
    天安の店舗はかなり古い木造の店舗ですが、現在に至るまでに増改築を繰り返してきたと思われ、店舗と繋がっている後ろの部分はおそらく昭和中盤くらいっぽい建物、隣のビル(おそらく平成以降の建築)が別棟に見えて実は古い木造の店舗としっかり繋がっているなど、まるで九龍城かと思ってしまう継ぎ足し建築なのが印象的でした。
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    その後は井戸もある狭い路地を抜けて、佃島のランドマークかと思われる住吉神社に行きました。
    どちらかというと関東には少ない住吉神社がここにあるのは、佃島が関西から移住した漁民によって開拓されたという歴史もあるのでしょう。
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    その後は朱塗りの佃小橋を渡りました。橋の横にはマンションと一体の建物だけど日の出湯という銭湯もあります。
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    佃島での最後は浪除稲荷大明神を見て、交差点を渡って月島へと入ったところで散策は終了となりました。
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    散策終了後は「月島もんじゃ居酒屋こだま」にて新年会となりました。
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    まずはビールで乾杯し、最初にガツ刺しや海鮮焼きなどが登場。
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    その後にもんじゃ焼き、お好み焼き各1種類ずつが登場し、最後は焼きそばで〆となりました。
    ビールは1杯で止めるつもりだったのが、間違って2杯届いたので飲んでしまったらかなり酔いましたが、翌日の仕事(しかも早番)には響くことなく何とか無事に帰宅しました。

    東京臨海論: 港からみた都市構造史
    渡邊 大志
    東京大学出版会
    2017-02-27

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    東京再発見の「23区内の島を歩く」企画に参加してきました。
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    集合は浦安駅になりましたが、ここで降りたのは多分非常に久々です。
    京葉線ができる前はここがディズニーランド最寄り駅で、21世紀に入ってからもしばらくその面影の残る表記や看板が結構あった気がするのですが、今はパッと見た限り見当たりません。
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    集合前に食事にし、駅前の富士そばでカレーカツ丼を食べてから、駅前に集合しました。
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    最初に向かったのは旧江戸川に浮かぶ妙見島で、23区唯一の天然の島とも言われています(正式には違うけど現存の島らしい島となるとそうかもしれない)。
    東西線に乗っていると線路北側(都心方面から来ると進行方向左側)に中州が見えるので、存在を知っている人は多いかもしれませんが、足を踏み入れる機会はなかなかなさそうな場所です。
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    浦安橋の途中に妙見島への降り口があり、首都高の一部の出入口みたく車道の内側にあるのが面白いですね。
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    そして、島へ降りたところにいきなりラブホテルがあるほか、あとは工場があったり、川の中州で海にも近いという立地上マリーナがあり、一般住宅は皆無です。
    いきなりラブホテルがあったりあとはほとんど工場というのは異様にも思えるのですが、住宅街から隔絶されているという場所柄そうなったのだと思います。
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    そして堤防沿いを歩いていくと途中に石像があり、だいぶ風化しているので何かは分かりませんが、それだけ古くから人の営みがあった場所であることを証明しています。
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    また、島の中央には妙見神社もあります。
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    ちなみに今はコンクリートの堤防で囲まれているので島が動くことはまずないのですが、川の流れによって上流側はどんどん削られ、逆に下流側は土砂が堆積していくため、コンクリートで固められる前は島が下流に向かってどんどん動いて行っていたそうですね。
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    妙見島を歩いた後は江戸川区側から妙見島を見ました。
    河口近くということで魚の種類も豊富そうだし、上流側の突端はおそらく釣り人が喜びそうな場所ですが、私有地なので立ち入ることはできません。
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    その後は旧江戸川と荒川を結ぶ運河である新川の旧江戸川方の河口を見ました。
    昨年5月頃に所用でこの近くに来ているのですが、河口まで行きたいけど行く時間がなく、忘れかけていた今回にそれが実現しました。
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    河口部分だけ暗渠になってそこが公園になっているほか、水門もあります。
    また、河口付近には雷不動明王道標の碑もあります。石碑自体は近くの寺に移設されたとのことです。
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    その後は旧江戸川の派川の一つであった長島川の暗渠の遊歩道に行きました。
    旧江戸川からの分岐点に橋の欄干がしっかり残っているのが印象的でした。
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    次いで明和五年と彫られた庚申塔、下今井香取神社、称専寺などを見ました。
    この辺りは寺社仏閣密度が非常に高いのですが、かつては長島川を挟んで別々の村で、今は一つの寺町のように見えるけど、川で隔てられていたときはそれぞれが完全に別々の生活圏だったそうです。
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    次いで智光院、正圓寺、清光寺、大当稲荷神社などを見て長島香取神社に行きました。
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    ここには富士塚もあります。
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    次に訪れた東善寺には、江戸川区が成立する前の東京府南葛飾郡葛西村だった頃の表札がついているのも印象的でした。
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    その後は梵音寺、長島稲荷神社、自性院を見て、この周辺の寺町を見終えました。
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    なお、自性院は梅が早くも咲いていたほか、本堂の白壁と窓のデザインが独特なのが印象的でした。
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    その後は葛西駅に向かい、途中の長島町交差点近くでは長島川が親水緑道になっていて、長島橋の親柱も残されていました。
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    そして、環七通り沿いのラーメン店の前にフクロウがいるのを発見。
    最初は置物かと思ったら、まさかの本物で動いたので驚きました。
    この店の店長として飼われているそうで、機会があればここのラーメンも食べてみたいですね。
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    そして、葛西駅から東西線で門前仲町へと移動になり、前半の部は終了しました。
    (続く)


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    皇居東御苑は、都心部では貴重な自然が多くあることでも知られ、様々な植物が植えられています。
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    そんな中に、まさかの梅の花を発見。「紅冬至」という品種で、名前からして冬至頃に咲く早咲きの品種のようですね。
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    その後は天守台からの風景を眺めてから、汐見坂に行きました。
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    この坂の名前の由来は汐つまり海が見える坂で、江戸城築城当時は今の低地側の大部分は海だったことを現在に伝えています。
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    皇居東御苑で最後は、百人番所と同心番所を見て、大手門から出ました。
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    ここから東京駅方面へと歩き、線路を越えたところの東京トーチに出ました。
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    ここには巨大赤べこのモニュメントがあります。
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    その後は一石橋迷子しらせ石標などを見て日本橋に出ました。
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    日本橋を渡った先の三越向かいの場所はこれから再開発が行われるエリアで、9月の散策で通過した際にはこの一角の多くの店が既に退去済みで解体を待つのみという状態でしたが、今回通ったときはついに工事の囲いで覆われてしまいました。
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    コレド室町の再開発済みエリアは福徳神社、薬祖神社、古河市兵衛像などがあるほか、西堀留川の跡でもあり、さらに西堀留川は元を辿れば石神井川の最下流部でもあったと言われています。
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    その後は昭和通りの反対側に渡り、今度は東堀留川の跡を辿りました。こちらも同じく旧石神井川流路跡だったと言われている河川で、かつては最下流部で二手に分かれて日本橋川→海へと注いでいたようです。
    西堀留川が関東大震災後の瓦礫処理で埋め立てられ、東堀留川は戦災瓦礫での埋め立てで消滅したとのことです。
    そして東堀留川は堀留児童公園として整備されています。
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    最後は、ここから東堀留川の河口までを辿りましたが、一見すると川跡とは分かりにくい細い路地になっています。
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    また、途中に西鉄グループCIが掲げられたビルがあり「?」と思ったら、西鉄日本橋人形町ビルという名称で西鉄グループの会社が入っているほか、そばにホテルの西鉄イン日本橋もあり、ここは福岡の西鉄グループの東京における営業拠点であることが分かりました。
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    最後は日本橋川沿いの公園にある水門で散策は終了となりました。
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    散策終了後は忘年会となり、会場へと歩きましたが、途中の人形町駅近くにある軍鶏料理の玉ひでのビルがなかなか趣のあるデザインでしたね。
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    そして中華居酒屋の吉月酒場にて忘年会となりました。今回は600回目かつ25周年の節目ということで、その記念も兼ねています。
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    まずはビールで乾杯し、餃子、麻婆豆腐など各種料理が色々運ばれてきました。
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    料理の最後は炒飯で〆となり、最後はデザートに杏仁豆腐が出てきて、これがウサギの形をしていました(他にハート形もあり)。
    これはぜひともウサギの格好が好きな台湾スナックの新垣結衣系な人か、某劇団と接点があった横澤夏子みたいな人の前で美味しくいただきたくなります。
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    20時頃でお開きとなり退店しましたが、店の向かいにある一般住宅がなかなか渋いデザインだと思ったら、来年で築100年を迎える骨董品級の家でした。
    この辺は戦時中の空襲被害を免れたこともあり、こうした古い建物が結構残っているそうです。
    その後は2次会に行った人もいたようですが、私はここで真っ直ぐ帰路につきました。


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